総合格闘技
1年の締めくくりとして、そして僕の1年のうちでもっとも楽しみなイベント、それが大晦日の格闘技観戦だ。
ここ3年ほどはこの年越しスタイルは変わらない。いつも観戦しながら思うのは、スタッフにそしてお取引先様に助けられた1年、無事に過ごすことができて本当に良かったとしみじみ思いつつ、同時に来年のこの時期もまた同じ思いで、この場所にいれたら最高に幸せな事だろうと感じながら「ウォー!ヒョードルー、最高!」と年甲斐もなくその瞬間はハシャギまくっている。
そんな夢の一時もつかの間、年が明けたと同時に僕は数え年で41歳を迎え、男として人生最大の難関ともいえる大厄の前哨戦、つまり前厄となる。この厄はかなりやばいらしい。25歳に経験した厄とは比べ物にならないくらい大変だという。語呂にもあるように男の大厄は42歳で「死に」、ちなみに女の大厄は33歳で「散々」と身の毛もよだつ思いとはこの事である。
僕の田舎ではこの厄年を迎える人に、日常身に着けるもの、たとえば下着や、パジャマ、アクセサリーなどをその親族から贈られ、それによって自分の身を守ってもらうという慣わしがあるそうだ。それにプラスして厄除けをこれから向こう3年間やっておけば大丈夫?かというと人生そんなに甘くはない。必ず何かが自分の身に、そしてその周りにも影響を及ぼす事は必ずある。
僕は思う。人はそれぞれ己自身の中に、年齢だの何だの関係なく厄というものは住みついているものだと。ある時心のバランスを失い、自分でコントロール出来なくなったときに、普段影を潜めている厄というものが一気に噴き出し、その人の目の前を全て塞いでしまう。日常のマイナス思考がまさにその厄を呼び起こす格好の材料となるだろう。
でも逆に、厄というものは考え方によってはプラスに転じる事もある。例えば、学生時代、日々の小テスト、中間テスト、期末テストと自分の学力を試され、それに見事合格したものが翌年次の学年に上がれる。当然次の学年に上がれば、新たな学科が加わり、それに対する自分自身の可能性を発見する事ができ、同時に新たな仲間との出会いもある。これと同じように、小テストは日々の些細なトラブル、中間テストは男でいう25歳、期末テストは42歳、人生が与えてくれた最大の試験を見事合格できた者だけが、これから先老いていくまでの“幸福”という名のパスポートを与えられるのだと思う。
だからこそ、最初の話になるが、最初はパンチだけで通用したけど、いつかはそれだけでは対応できなくなる時が必ずやってくる。次はキックも、最後の決め手に寝技もできれば、まさに完璧。総合格闘家だ。今年は人生総合格闘家 浜町デビューの年にしたい。
TEXT/Y.HAMAMACHI











